コトバを紡ぐ人たちについて
伝えたいことをうまく言葉にできない、どちらかというと、ワタシはそっちの人間です。
なので、私が思っていたことがズバリ言葉になっているような書や、私が言いたかったことをズバリ言える人に出会うと、心が揺り動かされます。
その昔、詩人と言われる人たちは、神様の言葉を伝える聖人として扱われていたそうです。
ですので、聖者と呼ばれる人に詩人が多くいます。
日本でも、万葉集に見られるように詩人というのは一目置かれる存在であったように、「言葉を操れる人」というのが少なからずいて、人々の心を魅了してきたんだと思います。
でも、言葉だけで行動が伴わないと響かないどころか、むしろ「うすっぺらー」と思ってしまわれるので、ここが「言葉を操る人」の難しいところだと思います。
語れば語るほど、響かない人・・・、嘘くさい人、、、いますよね。
私もそんな人にだけはなりたくないと、その域に達していないのであれば、”むしろ語るな!”と自分に言い聞かせております。
一方、その言葉が心に刺さる人というのもいます。
身近なところで言うと、私のキルタンの師である「堀田義樹」さん。そして、リストラティブヨガの師である「リザ・ロヴィッツ」さん。
彼らのブログなりFacebookなりで発するメッセージを読むたびに、「なんでこんな表現ができるんだろう?」と思うことがよくあります。
単に言い回しが上手い、というのではなく、彼らの人生経験から選び抜かれて表現されるコトバ、というのに心を揺り動かされます。
この才能は、誰に習ったわけではなく、自然と生きていく過程で、感性を刺激される出会いなり学びなどから自然に身についたもので、
当然彼らも、生まれたときはうちの娘と同じようにコトバを操れない人間であったわけで、どこでどういう風に言葉を生み出せるようになったのか興味深くもあり、
うーん、もう知らなくてもいいかな(彼らが無条件に好きだから!)という気持ちもあります。
今の私が、そこの域に達していないことに気づかれる瞬間でもあり、自分の生徒さんに対する罪悪感に似た感情ともっともっと成長せねばという感情がわいてきます。
そんな反省はさておき(おいていいのか?)私の友人に人生の試行錯誤を繰り返している子がいます。
3人兄弟の真ん中で(真ん中は面白い子が多いのか?)、サラリーマンのような安定した生活を望むも、サラリーマンをしてみると窮屈でフリーランスに戻り、自分の居場所を探して、あれこれ複数の職業に挑戦しつつ、この春、日本人教師としてマレーシアに飛び立ちました。
「そうか、日本人教師になりたかったのか」
と思いきや、
「海外に住みたかったから」
だそうです。
彼女の目指す方向性は、なんなのか?聞いてみると、
「わかりません!ヒロさん、私は一体何になりたいんでしょうか?」
と言ってのける彼女。
それって、実はすごく自然で、正直で、なかなか言葉にしにくいコトバを言っているようで、彼女のコトバも私の心を揺り動かします。
誰しも自分の今の生活に納得いく理由を、無理やりにでも見つけていて、人に聞かれたらそう答えるものですが、彼女は真っすぐです。(笑
なので、自然とサポートしたくなります。
情報を発信することが好きな彼女、効けば何社かライターとしての仕事もしていたようですが、「IT音痴」なためブログも持っていませんでした。
そう、実は彼女も「言葉を紡ぐ人」だったんですね。
そこで、ITリテラシーの高いヨガティーチャーHiroは、今回も彼女のために一肌脱いで、ブログを開設してあげました 😳
「mako-press]
彼女らしくマレーシアの日常を記載してますが、彼女の人柄がにじみ出る文章だなと思います。
よろしければ、のぞいてみてください。
#Wordpressを操れなさすぎて・・・途中で更新できなくなることを、私はひそかに危惧してます(苦笑
彼女が自分の花を咲かせられますように。
ナマステ。