毎日が選択の連続。迷ったときに響くコトバ。

「週に何日くらいヨガをしているの?」と聞かれることがありますが、その時は「毎日」と答えます。
”うわっ、優等生的発言!”と思ったて引いた方、最後まで聞いてください。
例えば、目の前にケーキが3つあったとして、全部食べたい気持ちを抑えて、1つだけで我慢するのもヨガなんです。(笑

ヨガには「不貪(アパリグラハ」という教えがあり、”必要以上にむさぼらない”という意味です。
これをつきつめて”菜食主義”になるヨギーも多いのですが、私はそこまではやりません。(だって、肉もおいしいもん)

そんな解釈でいいの?ってとこですが、いーんです!宗教じゃないのでそんなに厳密ではなくても。
この必要以上に・・・っていうのが「キモ」だと思ってます。

「なーんだ、じゃ、私もヨガやってたわ!」

って思った方!そうです、そんな感じで、日々ヨガを行うことができます。

このノリでもう一つ、ヨガの勧戒(こうした方がいいよということ)の中に「スワディヤーヤ」という教えがあるのですが、本来は「聖なる書物による学習」を差しますが、わたくしはコレを”自己成長に役立つ書物”に拡大解釈しちゃってます。

だって、世の中には先人の知恵や知識、医学的な見地からの自己の観察など、素晴らしい書物がたくさんありますものね。

例えば、

「置かれた場所で咲きなさい」(渡辺和子 著)

も、私の中で聖なる書物です。(笑

紹介すると切りがないほど、心に刺さるフレーズがたくさんあります。

先日、最近はやりの(?!)「不倫報道」をテレビで見ていた時、この本の中のフレーズが頭によぎりました。

”一生の終わりに残るものは、我々が集めたものでなく、我々が与えたものだ”

自分が選択して行動する1つ1つが、自分の強欲によるものではなく、他人を思いやれるものを選択しているか。

ヨガでは、「身体」と「心」と「それを観るもの」の3つに分解して自分自身をとらえます。もちろん、3つ目が本当の自己と説かれます。

もし「心」を自分自身と勘違いしてしまうと、大変苦しみます。私も思い当たることがたくさんあります。

その人に”会いたい!”と思うのは「心」の仕業で、この心は本当に飼い慣らすことの難しい子犬のようなもの。クンクンとおいしそうな匂いを嗅いでは、尻尾を振って寄っていきます。本能のまま、五感に左右されやすいのが、「心」です。

でも、一歩引いて、
「あ、”心”が勝手に暴走しているな。これは、”心”の悪い癖だ。」
と、”それを観るもの”になれれば、心の暴走に引っ張られずに、次にとる行動を選択できるようになります。

でも心の力は絶大なんですよね!中々打ち勝てないんです。わかります!

簡単にできないからこそ、”勧戒”にあるわけで、努力しましょうということです。

私も、どうすべきか発言や行動を悩んだときは、このコトを思い出して、「嬉しいのが自分だけでない方」を選ぶようにしていますが、

昨日の私の行動は、一生の終わりに残るような財産を生み出せたかどうか・・・・いつも自信はありません。

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